〝ジャズ〟から〝クラシック〟へ
今日も〝LIVE〟を楽しませていただきました
こうして様々なジャンルの音楽に親しめることに
ありがたさを感じています
本日はキャメラマンとして
推参いたしました
いつもお世話になっています
くらしき作陽大学・作陽短期大学へ
開かれたのは、玉島の地域の皆さんからの
注目度も高い
『作陽管弦楽団プレミアムコンサート』
選び抜かれた学生と作陽OB・OGの皆さんによる
華麗で迫力のある演奏が魅力の
〝大クラシックコンサート〟です
演奏されたのは、
R.ワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲
W.A.モーツァルトの「管弦楽のための協奏交響曲」
そして、
P.チャイコフスキーの「交響曲第6番《悲愴》」です
《悲愴》は、チャイコフスキー最晩年に作曲され
お亡くなりになる9日前に
ご自身の指揮によって
初めて披露されたそうです
いったいどんな心情で楽譜を書かれたのか...
もうほんとうに《悲愴》としか
表現のしようがないほどの
悲壮感にあふれています
ですが、ただ悲しいだけの旋律に
とどまってなく
第1から第4楽章まで
およそ50分にわたる演奏の間
感情は揺さぶられ続け
ただただ〝没頭〟してしまったのは
楽曲から〝壮絶なる人生〟そのものを
思い浮かべたからなのかも
しれません
さて、〝チャイコフスキー〟と聞いて
真っ先にみなさんが
思い浮かばれる曲は、なんでしょうか
3大バレエ組曲
「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」
は、私が幼少のころより愛聴していた
10枚組のクラシック音楽レコード
「少年少女 世界の名曲」に
収録されていましたので、特に親しんで
聴いていました
(参考ブログ『続 クラシック音楽のこと』)
不思議なことに
音楽とともに刻まれた記憶というのは
メロディーだけじゃなく
その当時に〝していたこと〟も
思い出すのですね
個人的なことでいえば
「くるみ割り人形」から思い出されるのは
中学生のころの〝掃除の時間〟
放送室から全校一斉に
掃除の〝BGM〟として流されていました
〝掃除〟という日日の営みの中で
軽快なリズムと覚えやすいメロディーが
多感なころに刻まれていたことを思うと
〝チャイコフスキー〟という偉大なる
音楽家は、中学生時代に
〝私という人間〟を作ってくれた
〝先生〟でもあった、と
今更ながらに思います
《悲愴》を聴きながら
〝人生〟を思い浮かべたのは
音楽から受け取った
〝遺伝子〟のようなものを
感じたからなのかもしれません